2025.09.16
島民インタビュー
∼未来を変える決断∼ 働く意味と生きる目的を見つめ直す
今回は、ご家族で東京から上甑島へ移住した岩下佐枝子(いわした さえこ)さんにインタビューさせて頂きました。
佐枝子さん一家が島に移住してきたのは12年前。当時、二人の息子さんは小学6年生と3年生になる年でした。二匹のワンちゃんとカメも車に乗せて、長い道中、各サービスエリアで休憩を取りながら、様々な景色や場所を楽しみつつ移動してきました。
「引越しの日、友達との別れが辛すぎて長男は大泣きでした、、、『ごめんね、、、ごめんね、、、』と何度も何度も言いながら出発したんです。遠かったし最初は泣きながらの出発だったけど、最終的にはすごく楽しかったです!車内が犬かカメのせいですごく臭かったんだけど(笑)全部すごくいい思い出なんです。」
とても明るくおしゃべり好きな性格の佐枝子さん。島に馴染み、地域の方々からは島の出身だと誤解されることが多いそうですが、実は埼玉県出身。島にルーツがあるのはご主人で、お母さんの実家が上甑島の江石でした。そんな佐枝子さん一家が甑島に移住するまでのお話しを伺いました。
子供を抱きしめて気づいたこと
結婚を機に、東京で暮らしていた佐枝子さん。当時は夫婦共々仕事が忙しく毎晩遅くまで働いていました。出産後も、生後3ヵ月から預けられる保育施設にてお子さんを見てもらいながら、仕事に集中できる環境を整えていました。
仕事と子育てを両立しながら充実した毎日を過ごしていると思っていたところ、保育園の園長先生から「お母さん、1日たった30秒でもいいから子どもを抱きしめてあげてください!」と言われた佐枝子さん。
「最初は、えっ?と思って少しカチンときました。でも、『よっしゃ!じゃあ言われた通りにしてやる!』と思ってやってみたら、、、、この子たちには愛の充電が全然足りてなかったんだって気づかされたんです、、、」
「恥ずかしい話ですが、子どもも私も園長先生に育てられた感じなんです。あの時の先生の言葉がずっと心に残っています」
夫婦ともに好きな仕事が出来ていたこともあり、子ども中心の生活ではなく、仕事のために生活がある感じだったと当時を振り返ります。
子どもたちが小学生になっても忙しい日々は続きました。当時、長男も次男も友達とよくケンカをしていて本当に暴れん坊だったと振り返る佐枝子さん。ついには、「お母さん、このままいったらお子さんは不良になりますよ」と言われてしまいます。学校からの呼び出しが来る日々が続き、このままではダメだ。そして、これからは子どものために生きよう!もっともっと愛情を注ごう!と夫婦で決意します。
いつかまた島に帰ろう
お義父さんの想いが紡いだ家族の未来
子どもたちとの向き合い方に変化が生まれた頃、東京で同居していたお義母さんが島に帰ることになりました。
お義母さんはお義父さんと島で出会い18歳で結婚し、島を離れ長い間、神奈川で暮らしていましたがお義父さんを病気で早くに亡くされていました。お義父さんが生きていた頃、「いつかまた島に帰ろう。そして島で暮らそう」と約束していたといいます。お義母さんは、お義父さんの想いを大切にし、約束を果たすために、島に戻る決断をしました。
そして夏休みなどの長い休みには、島で元気いっぱいの孫息子たちを迎え入れてくれました。
「島の大自然の中で毎日外で遊んで、都会では味わえない良さをいっぱい感じて帰ってきた後、子どもたちが興奮して話してくれるんです。『すごいよ!』って。『小さなエビを網で獲ってそれをおばちゃんが天ぷらにしてくれたりしてね。』って本当に楽しそうに話してくれたんです」
「『タコを手掴みで獲ったんだよ!』とか。『海なのに、波がないんだよ、すごい透き通ってるし!お母さん!』とかって。キラキラした目でいっぱい話をしてくれるんです、、、、」
お義母さんからも島の生活はすごくいいと聞いていて、「家族で引っ越しておいで」と言われることも。子どもたちが島での楽しかった思い出を話してくれるたびに、心が揺れ動きます、、、島での暮らしは子どもたちが子どもらしくいれる気がしました。環境を変えることでより良い未来を築けるのではないかと思うようになり、夏休みだけではなく、一家で甑島に移住することを考えるようになっていきました。
ですが、その頃、ご主人は会社の中で重要なポストに就いたばかり。また、東京で家を購入しようと準備を進めていたこともあり、家族の将来を左右する選択は簡単に決断を下せるはずがありません。色々な事情があり最後まで、島への移住を反対していたのはご主人だったといいます。ご主人の仕事のこと、購入の準備を進めていた家のこと、、、心が揺れ動きながらも佐枝子さんの気持ちは固まっていきました。
子どもたちにも「おばあちゃんも寂しいと思うし、島は良いところ。みんなで引っ越してこないかなって言ってるんだよね。二人はどう思う?」と聞いてみました。そして、家族会議前に子どもたちに欲しがってたゲーム機を買ってあげ「子どもたちには『これ買ってあげるからさっ。今日、家族会議で多数決を取るからよろしくね』って、、、(笑)」佐枝子さんの裏工作があったのはここだけの話。
そして、家族会議での多数決の結果、佐枝子さん一家は島へ移住が決まりました。


支え合いの日常
島暮らしで育まれたもの
移住に先立ち、島では佐枝子さん一家のための家探しがはじまりました。親戚の方がお義母さんの暮らす江石地区で一軒家を手配し、大工だった叔父さんが手直ししたり、親戚の方やお義母さんが動いてくださったそうです。
「感謝。感謝。本当に感謝しかありません。親戚の皆さんも、とても頼もしい存在でした」
そうして、佐枝子さん一家の甑島での暮らしが始まりました。
移住して間もなくは、子どもたちは慣れない環境をストレスに感じ、友達とケンカすることもありました。少人数の中では悪目立ちしてしまい先生に怒られる事も。ですが、人数が少ない分、とても仲良くなり、みんなが兄弟みたいになっていきました。
「長男も次男も、周りの友達がいい方向に直してくれたっていうのかな。周りの影響がすごく大きいです!」
「本当に島の子達っていい子なんですよ。知らない人でも『こんにちは!』って挨拶するのが当たり前みたいで。私、最初びっくりして!この子達、すごいな!って思ったんです。だけど、いつの間にか、うちの子どもも自然とあいさつが出来るようになっていて感動しました。」
島の子どもたちは、転勤で転校してくる子どもともたくさん接してきて、出会いや別れをたくさん経験しています。だからこそ、島外から来た子たちの受け入れにも慣れていたことも大きいのかもしれません。
「正しいことは正しい。これはダメでしょとかってはっきり言ってくれたりとかして。すごくできてる子たちが多いなって感じました。」
「先生にも、とても感謝してます。一 人一人ちゃんと見てくれて、勉強だけじゃなくて人間性みたいなものも教えてくれて、本当に感謝しかないです。素敵な友達や先生、地域の方に出会えて、島に来て本当に良かったと思いました」
引っ越した年の夏には、東京から長男の同級生が子どもたちだけで遊びに来てくれました。海に入れなかった子が泳げるようになったり、貝が食べれなかった子が食べれるようになったりとひと夏の間に大きな変化がありました。そんな子どもたちの成長を喜んだ親御さんからたくさんのお礼の電話を頂いたそうです。
恵まれた島の自然や人との関り合いが子どもの成長を促してくれたのかもしれません。


引越してきて二日目の写真、ご近所さんから魚を頂いてはしゃいでいる様子!
どこにいても忙しい母
12年の軌跡
慣れない環境の中でストレスに感じることがありつつも、「便利なところに行くわけではないのである程度覚悟してきたので全然大丈夫でした!」と振り返る佐枝子さん。
「住めば都って本当だな~って思ってます!全てにおいて不利なことなんて全然ないしね!」
「私、島に来て3日目で働きだして忙しくしてたから、、、、大変だった事とか正直もうあんまり覚えてないんです、、、(笑) でもね、不便に感じたことはあまりなかったな~。ここ数年ではamazonだってすぐ来るし!」
島に来て3日目には働いていたという佐枝子さん。ご主人の就労予定だった話が移住直前、白紙になってしまい、慌てて佐枝子さんが働き口を探すことになったそうです。
当時、Aコープの鮮魚部門が募集してるという話を聞き、「私、魚触れない、、捌けない、、と思ったけど、とりあえずいいや!と思って、それでもよかったら面接してください」と伝え、面接を行うことに。面接官からも「大丈夫!大丈夫!全部、教えるから大丈夫!」とすぐに採用が決まりました。
「そこから修行させてもらって、魚も捌けるようになって、本当に人生の宝物になりました!」
「主人は本当に職探しに苦労しました。色々なところに募集していないか連絡してみても全く仕事がなかったんです。当時、島って意外と人手不足じゃないんだなって思いました、、、」
そして、島に来て三ヵ月程が経った頃、お子さんの同級生のお父さんが漁協の仕事を紹介してくれそこで働く事になりました。ご主人が、趣味のジェットスキーで船舶免許を取得していたことが役立ちました。働きはじめた頃は、酔い止めを飲んで乗り切ってきたと当時を振り返ります。
現在も、漁協のお仕事を続けているご主人。
「最初は仕事を覚えるのが必死だったみたい。大変な仕事だけど、一緒に働く人が楽しい人達みたいで、今日こんな事があったんだ~って笑い話を結構聞かせてくれます!ユーモアがあって面白い人たちばかりで本当に人に恵まれました」と佐枝子さんは嬉しそうに話してくれました。

二人の息子の島立ちを見据えて
佐枝子さんは8年ほど前から、里地区にある食事処「甑に東風 現在地(コシキニハルカゼ ゲンザイチ)」で正社員として働いています。現在は店長として、お店の事を任されています。
息子さんの島立ちが近くなり、学費や自分たちと子どもの二重の生活費がかかってくると思いパートタイムではなく正社員として働く必要があると思うようになり転職を決めたそうです。
面接の際、オーナーご夫婦に子どもの事、これからの事など色々話をし、とても理解してくれ「うちで頑張って!もちろん正社員でいいよ!」と温かく迎えてもらいました。
そして、最初の数ヵ月は前職と現職を掛け持ちしながら仕事を覚えることとなります。月の半分はパートタイムの仕事、半分は見習いとして現在の仕事と、、、、一日も休みのない月がありましたが「私、めっちゃ働いてるなーと思ったけど、あの時はなぜかすごく頑張れたんだよな〜」と振り返ります。
入社後、見習いとして3ヵ月間は料理長の元ですべてのメニューを教えてもらいながら、ホールや掃除、開店閉店の準備も学びました。その後、料理長が地元へ帰ることになり、出産などでアルバイトの方も辞めたりして、佐枝子さんともう一人の方で昼と夜のお店を回すことになりました。
オーナーも厨房に入ってくれました。人が来なそうな夜は早めに閉めようと言ってくれ、体がしんどいだろうと、とても配慮してくれたといいます。
「どちらの職場の方も理解があって本当によかったと思っています。ここでも人に恵まれたと感謝してます!」


テキパキと料理を作り接客もこなす佐枝子さん
また、生徒数が少ない為、学校や子ども会の役員など7~8個重なってやっていた年もあり反省会の準備なども多く、忙しい日々を過ごしていましたが、お母さんたちと話しながら協力して進めたり、お酒を飲みながら交流したりする時間が楽しく、ざっくばらんに話せる環境が佐枝子さんにはとても合っていました。
「周りの方には本当に助けてもらいました。お世話になりっぱなしで、本当に感謝しかないです。」
「素敵な方ばかりでその方たちとの関わり合いの中で、様々な考えや気づきが生まれました。島の方が本当によくしてくださって、お世話になって、心動かされ、勉強になって。子どもだけでなく自分自身の成長にもつながったと感じています。」
「あのままずっと東京に住んでたらと思うとゾッとするんです(笑)。私、めっちゃ冷たい人間になってたんだろうな〜とかってね(汗)」と笑いながら話してくれました。
島の人達に惹かれ、島にいる
「この12年の中で島を出たいと思ったことは正直、何度もあります。そのたびに色々と考え、本当に今がその時なのか、もう少し頑張れるんじゃないかと自問しました。」
「出て行くのは簡単だけれど、自分の我儘で家族や職場に迷惑をかけてしまっていいのかと毎回、決断できない自分がいました。」
何かを決めるときに、簡単な答えはなく、さまざまな思いや葛藤と向き合いながらも周囲の状況を見つめ、頑張ってきた12年でした。
「もちろん島は好きなんだけど、島が好きっていうより島の人が好きだから離れようという気持ちにならなかったんだと思っています!」
「なんか大変なこともたくさんあったはずなんだけど、とにかく忙しくてバタバタしてたから正直あまり覚えていないのよ~記憶が全然ないのよ~(笑)」
そして、今の環境がとても居心地がいいと話す佐枝子さんに、日々の生活で意識している事を伺いました。
「人間関係ではたくさん嫌な思いをしてきたからこそ、自分がされて嫌なことは絶対にしないと心に決めています!」
「自分がすごい大好きだった女性の上司がいたんですけど、失敗しても責めることをせず、むしろ失敗したときには笑っちゃおうって!その悔しさをいつまでも引きずるんじゃなくて、ちゃんと反省して、次に挽回できるチャンスがあったら、失敗から学んだ事をどう活かすかに切り替えることが大切だと教えてくれました!」
「私自身、失敗したり迷惑をかけてしまった時には、『自分だったらどうされたいか』を考えて、迅速に前向きに対処することを心がけています。失敗を責めずに、自分や周りの人に優しくありたいと思っています」
「たくさん失敗をして、たくさん謝ってきた人生なんです、、、だからこそ、失敗しても『すみません』と素直に謝ることができるんだと思います。逆に、失敗が少ない人ほど、謝ることが難しい気がします。本当に、失敗だらけだったけれど、この経験は決して無駄じゃないんです。全てが今の自分をつくる大切な糧になっています」と話してくれました。

人と話すことも、お友達を招いて一緒にお酒を飲んでワイワイすることも好きな佐枝子さんはご実家が酒屋さんで本家だったこともあり、盆や正月など親戚達がたくさん集まる事も多く、普段でも夜になると近所のおじちゃん達が飲みに来たりと賑やかな家で育ったそうです。
「人が集まる場所が好きなんです!人が好きみたい!色んな人が集まる賑やかな環境で育ったこと感に謝しています。」
現在ご両親は埼玉でお姉さんやお兄さん家族と暮らしているそうです。
なかなか会いに行くことが出来ないですが、佐枝子さんのお休みの日にはお父様から「お前、休みだと思って!別に用はないんだけど、、、、、」と電話が来ることがあるそうです。
「何かあったのかと思ってビックリするじゃん!って言いながら、毎回私が機関銃のように喋ってあげて、お父さんがもうそろそろ電話切りたくなったかなって頃、切ってあげるんです(笑)いくつになっても親にとって私は子どもなんですよね~」
いつも何かと気にかけてくれ、離れたところから応援してくれるご両親。時々、島の魚や頂いた野菜を使ってたくさんおかずを作り息子さんと実家へ送っているそうです。

選んだ道を正解にするのは自分次第 ~島立ちした息子たちへ~
「息子たちには早く自分たちの家庭を築いて、幸せになってほしいと思っています!」
「自分の人生だから自由に生きてほしいけれど、何かあった時には頼ってきてね!って絶対に助けるからね!っていうことは伝えています。」
島に来た頃はお子さんに対して少し罪悪感があったと振り返る佐枝子さん。
東京の友達と別れ、寂しい想いをさせてしまった事や島での環境に慣れるまで色々と苦労したこともあり、本当に島に来て良かったのかと不安になることもありましたが、
「俺、甑島に引っ越してきて良かったって思ってるよ!あのまま東京にいたらめっちゃグレ てたと思う!」と言ってもらえたことがありました。
その言葉をもらい、とても嬉しくて初めて大泣きしたそうです。
「やっと、これで良かったんだと思えるようになりました。」
「大変なこともたくさんあったけれど、今は島に移住してきて本当に良かったと思っています。居心地がいい場所は自分で作り上げていくものだから職場や地域との関わり方も自分次第。人生は楽しんだ者勝ちだからね!」

甑島に来て本当に良かったと心から感じられる今、これまでのすべての経験が、私の人生を豊かに彩る大切な宝物
「最近は心に余裕が出来たのか、色々な事が考えられるようになった気がします。そしたら、仕事でもプライベートでもたくさん助けてもらって色々してもらっていたのに私、お礼してないわー(汗)って、、、慌ててお礼をしに行ったり感謝を伝えたりしています、、、、小さいことにも色々気づけるようになった変化がとても嬉しいです。」
「してもらうことって当り前じゃないんです!島の方には本当にたくさんの事をしてもらって助けてもらって今があります。『してもらったこと』への感謝の気持ちを忘れない様に暮らしていきたいです」
そして「自分がここで修行させてもらう中で、島の方々が何を求めているのか、観光客の方々が何を望んでいるのかということも、すごく理解できるようになりました。Aコープでも多くの経験を積み、年齢層によっても求める事や物が異なることを学びました。そうした学びを通じて、島の方々が喜ぶことをしたいと強く思っています!」
「誰でも入りやすいお店にしたいと思って色々な事を意識してやっています。笑顔を絶やさず『いつもありがとうございます!』って当たり前の声掛けも徹底して続けてきましたし、これからも続けていこうと思っています。当たり前の積み重ねって本当に大事なんです!」
こうした心配りや感謝の姿勢が、地域の方々との良好な関係を築く礎となっていることを強く感じます。その心の持ちようが、佐枝子さんの強さと優しさを一層引き立て、周囲に明るさと温かさ、そして元気をもたらしています。
人生を切り開いていくタフさと、いつ休んでいるのかと気になるほど献身的な佐枝子さん。その背景には、子どものために生きようと島移住を決めた夫婦の強い想いがありました。
島暮らしは不便さも伴います。高校がないこの島の子どもたちは15歳で島立ちをし親元を離れます。15年という短い時間しか親と過ごせないからこそ、その絆は一層深く、早い段階で親の有難さを心に刻むこととなります。

親は島から子を想い、子は島にいる親を想う。その想いは、時に試練や困難に直面しながらも、揺るぎない絆となり心の支えとなります。
海は島と本土を隔てているような気がしてた子どもの頃。
島立ちを経験し、海は島と本土を繋ぐもので、この海の向こうにはいつも自分を想ってくれる人がいるという事に気づきます。
島立ちの向こう側にあるのは、孤独や別ればかりではありません。


島立ちの情景
帰る場所があるということがお守り
大切な人を紹介したい時
褒めてほしい時
お母さんのご飯が食べたくなった時
島の景色が恋しくなった時
頑張れない時
自分を見失いそうになった時
いつも変わらずにあるこの島に、ただ深呼吸するためだけに、だた海を眺めるためだけに
ただ大好きな人に会うためだけに、いつでも帰っておいで!
誰かの帰る場所であり続けるこの島には「また必ず帰ってきます」と心から言いたくなる温かい店や人との出逢いがあふれています。