2025.03.14
島民インタビュー
直感を信じ決断した甑島移住
今回は、2022年4月に福岡県の久留米市より単身で移住してこられた徳永大秀さんにお話しを伺いました。
徳永さんはこれまでに接客業や建築関係と様々なお仕事を経験してこられ、直近は久留米市でお兄様と中古車販売店をされていたそうです。
車やバイクが好きなのでお仕事は楽しかったそうですが、30歳を目前に「この先ずっとこうしていくのかな…自分が本当にやりたい事は何なのか」と思うようになり、せっかくならずっとやりたかった事をやろうと思い立ちすぐに仕事を探し始めます。
「小さいころから動物がすごく好きでいつか動物に携わる仕事をしたい」という想いがあったそうで全国どこにでも行こうという気持ちで探したと言います。
たくさんの候補がある中でたまたま見ていた求人にこしき牧場の募集を見つけました。
初めて知る甑島は自然豊かでとても魅力的で直観的にここに行こうと思ったそうです。


画像提供元:こしき牧場Instagram
遠方という事もありまずはZoomで面談し、その後一度島に来てもらおうという事になり初めて甑島に来ることになります。こしき牧場の方と直接会って話をしそこからとんとん拍子に話が進み、2ヵ月後には島へ引越して来ていました。
上司の方は面談で会った時「一緒に働きたいと思った」と当時を振り返り話してくれたそうです。
徳永さんも「そう思ってもらえてすごく嬉しかったですし、雇って頂いて本当に感謝しています」と話してくれました。
島に来た当初は市営住宅に半年ほど住んでいましたが、里地区で知り合った居酒屋の大将さんが戸建を紹介してくれ現在は一軒家を借りて住んでいるそうです。修理が必要なとこなどは自分で直したりするのも好きなのでいつかは空き家を自分で改修してみたいと話してくれました。
命を預かる仕事の大変さを痛感し
計り知れない程の学びを得る日々
こしき牧場は完全放牧で牛がのびのびと暮らしています、そんな環境にも惹かれたそうです。
牧場での仕事は朝掃除の手伝いに来てくれる方が一人いるそうですが、朝夕の餌やりや掃除、敷地内の草刈りや柵の張り替え、牛の健康管理など徳永さんが基本一人で担っているそうです。
牧場では子牛が生まれたり、病気になってしまう牛がいたり、餌を求めて柵を壊し敷地外に出てしまう牛がいたりと毎日色々なことが起こります。分娩事故で母子共に亡くなってしまったという辛い経験もあったと言います。


カメラ目線が可愛い牛さんたち
牛はとてもデリケートな動物なため、餌のバランスや健康状態の管理がとても重要になります。毎日餌の時間には頭数確認をし体の状態をみます。調子が悪そうな子がいれば獣医さんに診てもらったり牛舎で様子をみたりと日々の観察力が求められます。
「この子は臆病だけど甘えん坊なんです」と頭を撫でてあげたり、「この子は食いしん坊だけど食べるのが遅くてみんなが食べ終わってもずっと食べているんです」と一頭一頭の性格を把握し、優しい眼差しで見守る徳永さんからは母性が溢れています。


こしき牧場では生後5ヵ月程になった子牛はさつま町にあるキャトル(子牛を預かり、管理育成を行う施設)に2~3ヵ月預けてその後、競りに出すそうです。


子牛を探す母牛
牛の感情は豊かで、他の牛に共感すると言います。また、家族や仲間が死ぬと、涙を流して悲しむことも知られています。子牛と離された母牛は子牛がいる牛舎に向かって声を枯らし鳴き続け、餌を食べなくなることもあるそうです。
手で哺乳瓶からミルクを飲ませる哺育をし、便の状態をみてミルクの量などの調整をし、名前をつけて毎日愛情を込めて育ててきた子達をキャトルへ見送る時とても辛くて、毎回しんどくなっていたと1年目を振り返ります。


今でもその想いはあるけれど、「頑張って来いよ!と送り出せるように、ここにいる間は目一杯の愛情をかけて立派な黒牛になれるよう育ててあげよう」と思えるようになったと言います。
日々の仕事は大変ですが、「一頭一頭と向き合え、成長を見られるこの仕事にやりがいを感じている」と言います。
牛たちの命を預かる牧場で様々な経験をし、“第一次産業に携わる大変さと責任の重さ”を感じている様です。
命と向き合うという事
「先日、朝来たら子牛が亡くなっていて…前日まで元気に餌を食べていたのに…獣医さんに診てもらったが原因がわからない突然死だった」と話してくれました。
「その後は、朝、子牛達の元気な姿を確認するまで不安や恐怖が湧き出てきてしんどかった」
「もっと何か出来たんじゃないか…自分がいない間に苦しんだり怖い思いをしたんじゃないか」と自責の念で苦しかったと言います。
「牛は話すことが出来ないから具合が悪いなんて言ってくれない、だから少し元気がないなとか、餌をあまり食べなかったなとか毎日一頭一頭を見て、牛を分かろうとしている」と。
「自分のさじ加減もあるし、私たちが牛の事が分からないと牛は死にます。考えても分からない事もある、それでも分かろうとし続けないとだめなんです」


「牧場から出ていくまでは愛情を注いできちんと育てたいという思いでいるので、事故や病気で死なせてしまった命には後悔が残る」と言います。
「日々、色々な想いが交差しつつ暮らしています」
働き始めた頃は肉を食べれない時期もあったと振り返る徳永さんですが
「自分が育てた子たちが美味しいお肉になって戻って来ると思うと、、おかえり。とこれまで以上に感謝し命の重みを噛み締めて、ありがたく頂こうという気持ちになる」と言います。
命を産み、命を育て、その命が私たちの血となり肉となり、私たちの命へと繋がっていく……覚悟のいるとても尊い仕事だなと感じます。
新たな挑戦
昨年10月には長期の研修を受けに行き人工授精師の免許を取得してきたそうです。
「餌やりや掃除がメインのイメージだった牧場の仕事はどんどんとやることが増え、やれる事も増え、奥が深くなっていきます。2年前はこんな資格を取るなんて思ってもいなかったです」と話す徳永さん。
これから2年ほどかけ下甑にいる先輩の受精師さんに指導してもらいながら一人前の人口受精師になっていくのだそうです。
徳永さんの挑戦を応援してくれている久留米のご家族は島への引越しの時も島内での引越しの時も家族総出で来てくれ手伝ってくれたそうです。
徳永さんは六人兄妹の三男だそうで、年末など家族がそろう時はご兄妹のお子さんなども集まりとても賑やかになるそうです。
お父様の影響でキャンプが趣味だそうで、子供の頃は色々なところに連れて行ってもらったと言います。お父様は昔来たかったけどタイミングが合わず甑島に来れなかったそうで、今回の引越しで念願の甑島へ来られて喜んでいたと話してくれました。
不便は捉え方次第で柔軟な思考や創造力を育むチャンス
そんな瞬間を楽しむことでより豊かな人生へ
仕事から帰って時間があれば釣りをしたり近所の知り合いのところに飲みに行ったり、夏はシュノーケリングをしたりと島暮らしを満喫出来ているそうです。
「コンビニがないのも全く困らないし、無いものは作ればいいと思っているので色々と工夫して生活するのも楽しい」と言います。
「久留米にいるときはあまり刺身などは食べなかったけど、島に来て食べた刺身がすごくおいしくて色々な魚を食べるようになった。自分でさばけるようになりたいしいつか野菜とかも作ってみたい」と話してくれました。
そして「島暮らしは人に言われるほど退屈ではないんです。海をぼーっと眺めているだけでも全然飽きない。その日その日で見える景色が違うから退屈しないんです!」
「こしき牧場の山の上から見る海が何とも言えないくらい綺麗で癒されるんです」
「真夏の海がとても綺麗で、おいしそう!と思って見てます」と話す徳永さん。

牧場へ上がる坂道の前に広がる浦内湾
島の密接なコミュニティ、すれ違う人同士が挨拶や会釈をするところは徳永さんの地元も同じ感じで懐かしく思えたので違和感なく地域に馴染めたと言います。
「とても豊かな暮らしが出来ているなと思います。海と山があるって本当にいいなと毎日感じています。島の人の日常が自分には非日常です。きれいな海があることって当り前じゃないんです!」と徳永さんは言います。
「今移住を考えているなら一回来てみて欲しいです!みんなあたたかいところなので」と。
島の人はあたたかい人が多いですがちょっとシャイな部分もあるので、徳永さんのように気になるお店に飛び込みで行ってみたりして自らコミュニケーションを取りに来てくれるとより一層仲良くなれる気がします。
過疎化や人手不足が進むこの島に若い世代が参入してくれ、自然と密接に関わりながら、命を育む重要な役割を果たす姿はとても頼もしく思います。
徳永さんのお話を伺い農業、畜産、漁業などの仕事は体力的な負担や天候に左右される厳しさはあるものの、関わる人にとってやりがいを感じる事が出来る魅力的な仕事となっていると感じました。